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より健康に、より幸せに  IoTがもたらすデンマーク医療・福祉の未来

2017.11.30

あらゆるモノをネットワークにつなげることで、私たちの生活を大きく変えるIoT。

その変化は未来の話ではなく、すでに起こり始めています。IoTが人々の生活に密着した領域でどんな変革を生み出しているのか、世界各国から最新事情をレポートするこのコーナー。

今回は、高福祉国家デンマークにおける医療・福祉分野のIoTの普及についてご紹介します。IoTが人々の生活に役立つシステムとなり、より良い暮らしを実現するには、社会にどのように広がっていけばよいのか――同国で進む個人情報の蓄積・ネットワーク基盤の整備と、「リビング・ラボ」の仕組みから、そのヒントが見えてきます。

安岡美佳
やすおか みか

コペンハーゲンIT大学
アシスタント・プロフェッサー
北欧研究所主宰
京都大学大学院情報学研究科修士、東京大学工学系先端学際工学専攻を経て、2009年にコペンハーゲンIT大学博士取得。得意分野は、情報システム、デザインアプローチ。異文化協調作業支援、創造性支援、北欧におけるITシステムと参加型デザインの研究を行っている。

IoT活用の前提となる 個人情報の蓄積とネットワーク基盤

デンマークは、1950年代に社会民主主義国家として高福祉国家の実現へと舵を切り、以来、社会インフラの構築・ 維持・向上に努めてきた。高福祉国家の安定のためにはその基盤となる税収の確保が不可欠であることから、1968年には個人番号(CPR)が、1970年には中央納税管理システムが導入され、個人番号が納税記録と紐付けられた。医療や教育といった国民が享受する各種社会保障サービスに関しても、個人番号を鍵としてデータが個人に紐付けられて記録され、蓄積されていった。医療分野においては、1977年に個人医療記録システム(NPR)を導入し、導入以降に電子化された個人医療情報が活用可能な状態に整備されている。

IoTを個人に幸せをもたらす技術として適切かつ効果的に活用するためには、個人データの適切な管理と、その活用のための情報インフラが整備されていることが前提となる。デンマークはすでに数十年をかけてこれらを実現しており、IoT の時代を迎えるいま、世界の中でもより進んだ立ち位置にいると言えるだろう。

高齢化社会を支えるIoT

デンマークでは高齢化率が23%(2016年デンマーク統計局。日本は25%)に達しており、労働者不足、国庫の逼迫が懸念されている。そして、この解決策として、また福祉の質を維持するための施策として医療・福祉技術の活用が注目されている。中でもより効率的で効果的な医療・ 福祉サービスを提供する起爆剤として導入が進み、大きな期待が寄せられているのがIoT関連機器とサービスだ。

医療・福祉技術とは、医療・福祉・介護分野における市民の安全と利便性を高める技術であり、同分野の従事者の労働負荷を軽減する技術と定義されている。具体例としては、GPS内蔵型の杖 や車椅子、センサー内蔵型の衣服(血圧 などの測定を支援する)、自動開閉型の窓や扉などを備えたインテリジェント・ホーム、セラピー・ロボット、アラームやセンサーと連動した情報システムなどが挙げられる。そして、デンマークにおいて、特に優位性を発揮すると思われるのが、IoTを活用して個人情報と連結することでパーソナライズされる医療・福祉の提供である。

デンマークでは1982年に定められた高齢者三原則(生活の継続性、自己決定、残存能力の活用)に基づき、自助努力を基盤とした在宅介護の方向性が形づくられた。現在、高齢者は、週に数回、 介護士などの訪問を受け、介護・掃除・食事などの生活支援を受けている。在宅介護では、転倒などの危険性とは背中合わせのため、腕時計型やペンダント型のアラーム発信器が活用されてきた。

こうした発信器は、平常時のモニタリングと、緊急の際の介護士や医療・福祉機関への警告を可能にしてきた。しかし旧来のものは固定電話線に接続されてアラームが発令される仕組みで、さらに転 倒の際には自分でボタンを押す必要があり、気を失った場合は役に立たない。現在は、スマートフォンやウェアラブル端末を活用し個人のバイタル・データをリアルタイムで介護施設に送信する仕組みや、患者が自分の意思でダウンロードできるアプリを活用し、電子カルテと連携することで、個人のバイタル・データを医療関係者が必要な時に確認できるシステムの構築が試みられている。データが個人番号に紐付けられているため、患者の家庭医や家族が病歴を照会することも可能だ。

技術と社会をつなぐリビング・ラボ

IoTに寄せられる期待は大きいが、複雑性、不確実性の高い現代社会において、新たな技術をいかに既存のシステムやニーズと融合させられるか、いかに採算性を測るかは難しい課題である。これを示す一例が、日本技術の粋を示す「温水洗浄トイレ」だ。日本では広く普及しているため、介護においても介護士の負担や時間の削減に役立ち、シニアの尊厳を損なわないためにも欠かせない機器となっている。その評判の高さから、 デンマークの介護施設にも導入され始めたが、結局は活用されていないという。その理由は単純だ。デンマークでは温水洗浄トイレはまだ一般的でなく、シニア世代も、より若い年代の介護士も、利用経験者はわずかで、効果を実感しにくく、利用が促進されないのである。技術が社会に浸透するためには、技術自体の実現可能性だけでなく、時間の経過や利用者の実感という社会性が不可欠であり、 状況を把握しながら適切に導入しなければならないことがわかる。

そのような技術と人との難しい関係に橋渡しをするための興味深い試みが、デンマークをはじめとした北欧諸国、また欧州で活発化している。『リビング・ラボ』と呼ばれるその試みは、技術を社会に大規模導入する前に、実際に生活の場やそれに近い形で利用者を巻き込んで使ってみることで、技術の改良を重ね、満足するま で繰り返し、最良の結果を追求しようという反復イノベーションの取り組みだ。 一般人、産業界、政府や地方自治体、研究機関などからステークホルダーが参加し、長期的な視点で社会における技術の位置付けを探っていく。リビング・ラボは、医療・福祉の分野に限らず、建築やまちづくりなど、大きな失敗ができない社会性の高い分野で多く活用されている。

リビング・ラボの効用は多岐にわたる。 例えば、規制の問題を考えてみよう。新しいIoTを導入する際、医療・福祉分野では特に規制が大きな障害になりうる。「リビング・ラボ」の枠組みを用いて、コンセプトの段階から政府を含めた関係各所を巻き込むことで、規制緩和が進み、実用化段階に至った時にはすでに必要な共通認識や理解が醸成されている。

デンマークは現在、国を挙げてリビン グ・ラボを推進している。例えば、 国内 第3の都市オーデンセ市は、大学、企業、 地域住民を巻き込んだリビング・ラボ 『CoLab』の実践を進めている。同市では大規模な新病院の建設計画が進行中で、医療・福祉に関連する多くの新技術が採用される見込みだが、CoLabは、その新しい医療の場で求められる技術やサービスを模索する場になっている。今後建設される大規模病院の一部を切り取った1:1模型を構築し、使い勝手の確認や実験、ワークショップが実施されているほか、医療機器や医療コンセプト、福祉技術や関連IoT機器なども、このリビング・ラボで実証実験が行われる。国 内外の技術開発企業もCoLabを訪問し、オーデンセ市と共同で、また地元企業や機関とも協業しながら、新たな技術や福祉分野におけるIoTの可能性を模索し、開発を進めている。その目的のひとつは、40年にわたって蓄積されてきた膨大な個人医療データをいかに活用できるかを探ることだ。

情報ネットワークを強みとし、新技術の実証の場を持つデンマーク。医療福祉分野におけるIoTの活用は今後さらに加速し、世界をリードしていくだろう。


医療データの市民ポータルサイト、『Sundhed.dk』。Sundhedはデンマーク語で「健康」の意。個人番号と個人認証システム(NemID)を用いてログインする(①)と、カルテの記載などの個人医療情報を1977年までさかのぼって閲覧可能。登録した家族や第三者とも情報共有できる(②)。そのほか、病院や保険、ヘルスケア・アプリなど、医療や健康管理に関する様々な情報がまとめられている


オーデンセのリビングラボ『CoLab』。ワークショップを実施する奥に4つの医療情報利用シーン(家庭医、病院、自宅、介護施設)の原寸大模型が設置されており、医療情報のデータ交換やディスプレイ方法などの実験、空間のサイズや使い勝手が確認できる。ワークショップで作成したシナリオを演じて詳細を詰めていく試みも行われる


実生活でシニアにICTを実用的に利用してもらうパイロット・プロジェクトも全国的に実施している。遠隔医療の補助や、よりきめ細かい介護の提供など、目的はさまざまだ