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ファーウェイのAI研究開発

2017.09.28

「データの大洪水」から知識を獲得するインテリジェントなネットワーク、端末、企業の実現に向けて

知能を持ったコンピューターを実現する――人工知能(AI)の研究は1950年代に始まり、近年ディープラーニングの登場によって第3次ブームと呼ばれる発展期を迎えています。その応用範囲はあらゆる産業、あらゆる人間の営みに及び、人工知能を活用した新たな事業やサービスに関するニュースを聞かない日はありません。

今年3月には、グーグル・ディープマインドが開発した囲碁プログラム『AlphaGo』が世界のトップ棋士に勝利したことが大きな話題となりました。1997年に人間のチェス・プレーヤーを打ち負かしたIBMの『Deep Blue』は単一のスーパー・コンピューター上で稼働していましたが、『AlphaGo』はクラウド上のCPU 1,202基、GPU 176基という莫大な計算力を駆使したディープラーニングにより、指し手の可能性が10の170乗にも上るという複雑な囲碁の対局を学習しています。人工知能は、ICTの進歩と密接に結びつきながら発展を続けているのです。

ファーウェイは2012年から人工知能研究を本格化させ、この分野に特化した研究開発拠点として『ノアの方舟研究所(Noah’s Ark Lab)』を設立しました。端末、ネットワーク、クラウドをエンド・ツー・エンドで手がけるICT企業として、大量のデータから価値ある知識を引き出すさまざまなAI関連技術の研究開発に取り組んでいます。今号のFeature Storyでは、同研究所の所長である李航(リ・ハン)博士に、ファーウェイの人工知能研究のこれまでの成果と未来について話を聞きました。

ファーウェイ ノアの方舟研究所(Noah’s Ark Lab) 所長
李航(リ・ハン)

1984年に来日、京都大学工学部電気電子工学科卒業後、同大学院工学研究科で計算機科学の修士号を取得。1991年から2001年までNEC中央研究所に在職しながら、1998年に東京大学大学院工学系研究科で博士号を取得。マイクロソフト・リサーチ・アジアを経て、2012年にチーフ・サイエンティストとしてファーウェイに入社、2015年より現職。統計的機械学習、情報検索、データマイニング、自然言語処理を専門分野とし、数多くの国際学会で要職を務めるほか、北京大学、南京大学などで教鞭も取っている。

ノアの方舟研究所

2012年、ファーウェイの研究開発機能を統括する『2012ラボ』内に、人工知能の研究開発に特化した研究所として設立。深圳と香港を拠点に約50名の研究者が在籍し、香港科技大学、中国科学院、清華大学、イリノイ大学シカゴ校、南カリフォルニア大学、ダブリン・シティ大学など世界各地の大学や研究機関と共同研究を行っている。今後は北米をはじめ各国に拠点を展開していく計画。

データの大洪水に立ち向かう方舟

編集部:ノアの方舟研究所が設立された背景についておしえてください。

李:ファーウェイの研究開発機関の総称である『2012ラボ』は、創業者兼CEOの任正非(レン・ジェンフェイ)が2009年に公開された映画『2012』からヒントを得て名づけたものなのですが、『ノアの方舟』という名称もこの映画に由来しています。来るべきデジタル社会におけるデータの大洪水に備えることを、人類を救う方舟の逸話になぞらえたのです。機械学習、データマイニングなどの人工知能技術によって大量にあふれるデータから知識を獲得し、それを応用へとつなげることが当研究所のミッションです。ICTを牽引するファーウェイにとって重要な分野であるため、世界中から多くの優秀な研究者を招き入れ、設立から数年で大きく拡大してきました。大学や企業とのコラボレーションも積極的に推進しています。

編集部:おもにどのような研究開発を行っているのでしょうか。

李:機械学習、データマイニング、自然言語処理、情報・知識管理、インテリジェント・システムという5つの領域を柱に、通信ネットワーク、端末、企業ソリューションというファーウェイの3つの事業分野に沿った多岐にわたるプロジェクトに取り組んでいます。すでに商用利用されている技術もいくつかあります。

インテリジェントな通信ネットワークを実現ビッグデータ解析でサービス解約率の低減も

編集部:通信ネットワークに関する分野では、これまでにどのような成果がありますか。

李:ひとつは、ファーウェイのGTS(グローバル・テクニカル・サービス)で活用されている、ネットワークの保守管理におけるアラームの自動処理です。ネットワークになんらかの不具合が生じてアラームが発生した際、その原因はさまざまであるものの、実際に対応が必要な事象は一部にすぎません。アラームの原因を特定し、対応の必要性を判断する作業は、これまで人間が行っていました。当研究所ではこのプロセスを自動化し、原因を自動的に解析したのち、対応を要する警告だけが現場に送られるシステムを世界で初めて開発しました。これにより、不要なアラームを90%圧縮することに成功しています。

また、当研究所で開発したストリーム・データマイニング・プラットフォーム『StreamSmart』は、ファーウェイのSDNソリューションで利用されています。

SDNはネットワークを制御部分と転送部分に分離し、転送部分の制御をソフトウェアで行うことで利用状況に応じた柔軟な構成を可能にするものです。『StreamSmart』は単一マシン上で1秒間に100万件の事象を処理することが可能で、ストリーム・データマイニングで広く使われている『Apache Storm』の約2倍、『Apache Spark』の約10倍にあたるデータ処理速度を達成しており、莫大なトラフィック・データを高速で分析して制御することにより、制御効率の高いSDNを可能にしています。

さらに、現状のSDNではあらかじめ設定したプロトコルによって特定の状況下における最適な制御を決定していますが、これを機械学習で自動化し、状況の変化に自律的かつ迅速に対応できるようになれば、SDNの柔軟性と堅牢性をより高めることができます。データマイニングによって最適な制御ポリシーを生成し、その成否に基づいた強化学習を行うことで精度を高めていくインテリジェントなSDNの実現に向けて、開発を進めています(下図参照)。

編集部:顧客管理に活用されている事例もありますね。

李:はい。通信事業者はサービスを通じて莫大なユーザー・データを収集しています。こうしたビッグデータから有用な情報を取り出して活用すれば、通信事業者は大きな価値を得ることができます。上海テレコムではOSS(OperationSupport System)とBSS(BusinessSupport System)で1日に2テラバイト以上ものユーザー・データを処理していますが、このデータに対してビッグデータ・システムに機械学習させたところ、プリペイド・サービスを解約しそうなユーザーを96%という高確率で予測できました。さらに、この結果に基づいて解約可能性の高い顧客にはキャンペーンを自動的に提供し、これまで10%ほどだった解約率を約6%にまで低減しています(下図参照)。こうしたビッグデータ分析は、通信事業者に限らずさまざまな業種で顧客関係管理に応用できるほか、サプライチェーンや在庫の管理、離職傾向の予測といった人事管理など、幅広い展開の可能性があります。

自然言語を理解するヘルプ機能学習するアプリストア

編集部:すでに、ビジネスに直結する成果を出しているのですね。

李:そうですね。よりユーザーに近いところでは、スマートフォンへの応用も進めています。2014年以降中国国内で販売しているファーウェイ製スマートフォンには、自然言語検索によるインテリジェント・ヘルプ機能が搭載されています。従来のようなキーワード検索ではなく、知りたいことを音声あるいはテキスト入力により文章で質問して、クラウド上のシステムから回答を得られる機能です。これは一見すると単純な機能のように思えますが、「インターネットにつなぎたい」というユーザーからの質問を、「ウェブへの接続方法」として登録されている回答に結びつけるのは容易なことではありません。ファーウェイのインテリジェント・ヘルプではランキング学習やセマンティック・マッチングといった高度な検索機能を活用し、質問の認識正解率90%以上、回答の正答率92%という高い確度を実現しています。このサービスは現在1日に10万件ほど利用されています。

 

中国国内で販売されているファーウェイのスマートフォンに搭載されたインテリジェント・ヘルプ

また、アプリストアの検索とおすすめ機能にも機械学習が応用されています。中国国内にはアンドロイド・アプリをダウンロードできるアプリストアが数多くありますが、ファーウェイ・アプリストアはここ数年で急速に利用者数を増やし、2015年にはアプリのダウンロード数が175億に達しました。この人気を支えているのが、優れた検索・おすすめ機能です。こちらも同様にランキング学習やセマンティック・マッチングによって数十億のインスタンスをもとにユーザーのニーズや好みを学習し、的確な検索結果や「おすすめ」を表示します。2014年にこの機能を実装後、検索したアプリ、「おすすめ」されたアプリがダウンロードされる確率は70%にまで上昇しました。

世界初、自動で発話するニューラル対話マシン

編集部:将来に向けて進行中の研究開発プロジェクトにはどのようなものがありますか。

李:先ほど述べた自然言語検索をさらに発展させたものとして、ディープラーニングにより自然言語で外界とやりとりできるニューラルネットワーク・システムの構築を目指しています。人間どうしのきわめて複雑かつ多様な対話を機械が学習し、自然な受け答えをすることは、人工知能における最大の難題のひとつです。

当研究所ではまずシンプルな一往復のやりとりにフォーカスし、SNS上の莫大なやりとりのデータをもとに対話のパターンをディープラーニングで学習させ、自然な対話を自動生成するシステムの開発に取り組んでいます。データベースに蓄積された発話の中から最適な受け答えを選び出す検索型アプローチとは異なり、機械が自ら文章を作り出すというのがこのシステムの特長です。これまでのところ、時系列データを学習するリカレント・ニューラルネットワークを用いて70万以上の対話データから学習を行い、テキスト・メッセージを生成するニューラル対話マシンの開発に世界で初めて成功しています。生成されたメッセージのうち95%が意味を成し、76%がやりとりとして自然なものになっており、検索に基づく発話生成よりも高い精度を達成しています。

編集部:将来的に人工知能の応用が進む分野としてはどのようなところに注目されていますか。

李:端末のスマート化はさらに進めていきたいと考えています。位置情報や利用状況などのデータを活用し、端末側でのレコメンド機能を強化する可能性はまだまだあると思います。また、スマート・ホームやスマート・パーキングなど、IoTにおいても人工知能による自動化で効率を向上していくことが重要になるでしょう。

人間と共存し、人間をサポートする教育型人工知能

編集部:シンギュラリティ(人工知能が人間の能力を超えること)の到来や、人間の仕事が取って替わられるなど、人工知能の過剰な進化を危惧する声もあります。

李:シンギュラリティの問題を含め、現在人工知能に関してはさまざまな議論がなされていますが、その多くは「知能とはなにか」という定義が曖昧なまま行われているように思えます。人間の知能は非常に複雑であり、脳のしくみはいまだ完全には解明されていません。知能とはなにかについて共通の理解がない状態で、その脅威を議論するのは建設的なことではありません。もちろん、科学者の責務として科学技術が社会に与える影響を常に意識し、議論していくことは大切です。この先、機械がどんどん賢くなっていくことは確かですし、『AlphaGo』のようなめざましい成果も出てきています。しかし、人間の脳とまったく同じように働く人工知能、いわゆる「強いAI」が登場し、制御不能になるという段階には当分は達しないでしょう。

編集部:では、ノアの方舟研究所ではどのような人工知能を目指しているのでしょうか。

李:人工知能に対するひとつの考え方として、EAI (Educated Artificial Intelligence:教育型人工知能)というコンセプトを提唱しています。これはタスクの解決にフォーカスし、人間が人工知能を教育すると同時に、人工知能が自ら学習し、人間が求める機能を提供するツールとなるという人工知能のあり方です。人工知能は、タスクが特定されている場合にはそれを解決することは得意です。例えば自然言語分析では、文脈に依存する多様な意味の中から最適な解を導くのは難しくても、具体的に文脈を与えさえすれば適切な回答を選択することができます。さらにこれまでの研究から、ディープラーニングのように統計的学習と人間の脳を模倣したモデルとを組み合わせたアプローチが、タスクの解決において最も効率のよい方法であることが示されています。タスクを特定し、基本的な枠組みを提示した上で機械学習させることで、さまざまな用途で人間をサポートする人工知能を実現できるとわれわれは考えています。

実用化を視野に入れトップクラスの研究所を目指す

編集部:李氏はかつて日本で長く研究されていましたね。

李:1984年に京都大学に学部留学し、情報工学の大家である長尾真先生のもとで修士課程を修了しました。その後NECの中央研究所で、現在東京大学で教授を務める山西健司氏やIBMワトソン研究所の研究員である安倍直樹氏らとともに機械学習の研究を進めるかたわら、東京大学の辻井潤一先生(現・産業技術総合研究所 人工知能研究センター センター長)の研究室で博士号を取得しました。現在も日本の研究者の方々とは学術上の交流が深く、早稲田大学の酒井哲也教授や東京大学の杉山将教授(理化学研究所 革新知能統合研究センター センター長を兼務)などと共同研究や情報交換を続けています。

編集部:ノアの方舟研究所はファーウェイのR&Dの中でも学術色の強い組織といえますね。

李:そうですね。とはいえ、研究にあたっては常に実用化を視野に入れています。ファーウェイはネットワークから端末までエンド・ツー・エンドでカバーした事業を行っていますから、人工知能研究の成果を幅広い範囲に応用できる可能性があります。インテリジェントなネットワーク、インテリジェントな端末、インテリジェントな企業の実現を第一義とし、事業部門や製品・ソリューション開発と連携しながら、研究活動を行っています。

編集部:今後の人工知能研究、ノアの方舟研究所のビジョンを聞かせてください。

李:ビッグデータ解析やディープラーニングはこの10年間で想像をはるかに超える劇的な進歩を遂げてきました。現在も人工知能研究は日々進化を続けており、10年後にどんな技術が登場しているのかは予測がつきません。「データの大洪水」は人類全体に突き付けられている挑戦です。この挑戦に立ち向かうための方舟となる技術の実現に向けて、世界トップクラスの研究所となることを目指していきます。