地方で働く~ICTが切り拓く新しい仕事の形と地方創生の可能性
2014年9月に内閣に「まち・ひと・しごと創生本部」が設置され、法の施行やビジョン・戦略の制定などが進んだことを受け、「地方創生」「働き方改革」は2015年の重要なキーワードとなり、さまざまな取り組みに注目が集まりました。そこで大きな役割を果たしているのが、モバイルやクラウド・サービスといったICTの利活用です。
ICTによって場所にとらわれない仕事のしかたが可能になったことで、地方で働くという選択肢が現実的かつ魅力的なものとして見直されています。そしてそれは、過疎や少子高齢化を課題とする地方への新たな人の流れを生み出し、地元だけの町おこしではなしえないサステナブルな活性化を実現しようとしています。
ICTを活用した地方創生の成功モデルとして全国から注目されている徳島県。中でも同県美波町では、東京のIT企業サイファー・テックが2012年に初めてサテライトオフィスを設置してから2年間で人口の転入が転出を上まわり、現在は12の企業がオフィスを設けています。美波町の新しい働き方と町づくりを目指す取り組みから、ICTがもたらすこれからの地域社会の形を探ります。
「日本一のネット環境」が基盤
徳島県は、「vs東京」というアグレッシブなコンセプトで地方創生の先陣を切っています。「vs東京」とは、東京をはじめとする大都市にない価値を自ら見つけて、産み出して、アピールしていくというコンセプト。徳島県政策創造部地方創生局地方創生推進課集落再生担当課長補佐の今津恭尚氏は「県が掲げる10の『徳島宣言』のひとつが、『山奥でも速い、日本一のネット環境を』というものです。徳島のサテライトオフィスが全国的に知られるきっかけとなったのは、神山町の山中で渓流に足をひたしながらノートパソコンで仕事をする光景がテレビで放映されたことでしたが、それを可能にしたのがこのネット環境でした」と話します。
そもそもこの高速ブロードバンド環境は、テレビの受信環境の悪化を補うために整備が始められたものでした。地上デジタル放送への移行にともなって受信可能なチャンネル数が大幅に減ることへの対策として、県は2002年から全県CATV網構想の実現を進め、現在では世帯普及率88.6%(全国平均52.2%)に。これが放送だけでなく通信インフラとしても価値を発揮し、ICTを活用したさまざまな地域活性化の取り組みを可能にしたのです。
昨年制定された「ICT(愛して)とくしま創造戦略」では、「『ICT基盤整備」から、課題解決のための『ICT利活用』へ」というビジョンのもと、産業から医療・介護、行政、教育など多岐にわたる社会課題の解決を目指す20のプロジェクトが推進されています。
有機的に広がったサテライトオフィス
徳島県内には、サテライトオフィスの進出が盛んな3つの地域があります。ひとつは、サテライトオフィスの先駆けとして知られる神山町です。神山町では、NPO法人グリーンバレーが中心となって主にアートの分野で人材誘致を進めていたことを基盤に、2010年からIT企業がサテライトオフィスを設置するようになりました。もうひとつの美波町は、後述のように同町出身のサイファー・テック代表取締役社長 吉田基晴氏がキー・パーソンとなって取り組みが進んでいます。3つめの三好市では、廃校を活用した企業誘致など、市の主導により現在5社がサテライトオフィスを設置しています。
このように、同じ県内でも地域によって展開の経緯はさまざまです。県のサテライトオフィスプロジェクトは、各地で有機的に発生してきたこうした動きを後方支援するというスタンスで、半年間の実証実験期間を経て2012年3月から本格展開を開始しました。オフィスや住居のための古民家の提供、進出企業向けのコンシェルジュ・サービスやカーシェアリング、視察ツアーの受け入れなどのほか、地域の小中学校や高齢者との交流などを進めていますが、行政の役割はあくまで関係機関との連絡や調整にとどめ、進出企業や地域のNPOなどによる主体的な取り組みを重視しています。「地域住民、進出企業の双方を含めた地元の熱意が動かしている部分が非常に大きいので、それをうまく成果につなげる手助けをするのが私たちの役目だと考えています」と今津氏。進出企業が地域の課題解決のために提案する活動も支援しており、これまでに9社の活動が支援対象に選定されています。
本格始動から3年間で、上記3自治体に徳島市、阿南市を加えた5市町に31社がサテライトオフィスを設置し、50名以上の地元雇用が創出されました。今後は推進地域を8市町村に広げていく計画です。
今津氏は、こうした取り組みが軌道に乗っている背景には、徳島の文化的な土壌があると言います。「古くからお遍路さんを迎え入れてきた歴史がある徳島には、よそから来た人を寛容にもてなす文化が培われています。また、四国の中でも大阪や神戸と距離が近く、新しいものに対するオープンな姿勢もあると思います。サテライトオフィスという形で外から入ってくる人たちや、彼らが持ち込んでくるアイデアをおもしろがって受け入れる土壌があったことが、プラスに働いていますね」
人材獲得戦略としての「半X(エックス)半IT」
吉田 基晴
サイファー・テック株式会社 代表取締役社長、株式会社あわえ 代表取締役社長
1971年美波町生まれ。神戸市外国語大学を卒業後、ジャストシステムなどを経て、2003年に東京都内でDRM(Digital Rights Management:デジタル著作権管理)を中心としたITソリューションを提供するサイファー・テックを設立。2012年に美波町にサテライトオフィス「美波Lab」を開設、翌年本社所在地を美波町オフィスに移転するとともに、地域課題解決に特化した株式会社あわえを設立する。現在は東京と美波町を行き来する生活だが、まもなく美波町に完全に移住することを予定している。
吉田氏がサイファー・テックを設立して以来、優秀な人材の獲得は常に深刻な経営課題でした。2003年の設立当初5名だった従業員数は、2012年までに7名に増えたのみ。東京には中小のITベンチャーは山ほどあり、就職先として魅力を感じてもらうためには、「他にはない何かが必要」だと考えていました。
そこで思い至ったのが、東京では実現できない生き方・働き方を可能にするサテライトオフィスです。吉田氏はこれを「半X半IT」と呼びます。「趣味、家族と過ごす時間、地域での活動など、都会で仕事と通勤に時間を費やす生活をしていると、人それぞれに犠牲にせざるをえないものが出てきます。ITを活用すれば、こうしたXを捨てることなく仕事と両立できる。それを実証するために、美波Labを開設しました」
出勤前にオフィスの目の前にひろがる海でサーフィンを楽しむ「半波半IT」、山へ狩猟に出る「半猟半IT」など、美波Labでユニークなライフスタイルを実践する試みがメディアの関心を引き、特にサーフィンやアウトドアの雑誌などで紹介されるにつれて、サイファー・テックで働きたいというエンジニアの応募が徐々に増えていきました。2012年の美波Lab開設以降、同社は従業員数を着々と増やし、3年間で25名と3.5倍に。それまで採用活動にかけていた労力とコストを大幅に削減することができました。
「『半』とは言ってもサテライトオフィスでは業務量が半減するわけではなく、あくまで職住接近から生まれた時間や周囲の自然環境の豊かさによって『半X』が可能になります。仕事の質と量の基準や給与水準は維持されるため、仕事の上での成長や充実感も得られます。優秀な人材が集まるようになったことで会社の競争力も高まっており、おかげさまで毎年増収増益を達成する一因にもなっていると感じます」と吉田氏は語ります。
中と外の“かけ算”で価値を生む
美波Labでは事業活動に加え、オフィスに隣接した水田で田植えをしたり、地元の中学生や住民向けにIT講座を開いたりといった活動を実施しています。また、毎年夏には全国の大学生が集まって地域課題を解決するハッカソン型のアプリ開発合宿を開催。若者の少ない美波町に活気をもたらすと同時に、会社としてITに関心を持つ優秀な学生と出会う機会にもなっています。
一方で吉田氏は、こうした活動は同社のCSRの一環として有意義ではあるものの、「腰を据えてより深く地域の課題に取り組むには限界があることをしだいに実感するようになった」と言います。そこで、地域課題の解決に注力するための企業として、2013年にあわえを設立。「単に外から来た人たちがお客さんとして参加するだけでは、地域社会を継続的に変えていくことはできません。地元の人々と交じり合い、互いの強みを生かして力を合わせながら“かけ算”で価値を生み出すことが重要なのです」と吉田氏は語ります。
こうした理念のもと、あわえは地域コミュニティ、地域産業、文化資産という3つの観点から美波町の町づくりを進める事業を行っています。中でも、サテライトオフィス誘致を含む地域コミュニティの分野では、古民家や空き施設のリノベーションによって、移住者と住民の交流スペースやサテライトオフィス体験施設といった「場」を創出しているほか、地域広報を担う人材を育てる「美波クリエイターズスクール」、他自治体の地方創生担当者向け滞在型研修プログラムなどさまざまなプロジェクトを推進しています。
リノベーション・プロジェクトを進める日和佐地区にあるあわえのオフィス。築100年以上の銭湯を改装した建物には、下足箱や番台、体重計など、往時の面影が残っている。大きなデスクが置かれているのは湯船の中。近所の猫がふらっとやってきて寛ぐ光景も
ICTは地方の課題の処方箋
美波町にオフィスを置く12社のうち、サイファー・テックをはじめとする4社がICT企業、それ以外の企業も業務には当然クラウド・サービスやウェブ会議システムといったICTの活用が必須です。総務省では都市部の企業の仕事をICTを活用して地方で行う「ふるさとテレワーク」を推進していますが、現状ではテレワークを導入している企業は1割程度に過ぎず、導入しない理由として多くの企業が「テレワークに適した仕事がない」ことを挙げています(総務省「平成26年通信利用動向調査」)。その点でソフトウェアやシステムの開発、グラフィック・デザインなどデジタル技術をツールとする仕事はテレワーク化しやすいものであり、サテライトオフィス進出企業はこうした業種が中心となっています。
加えて、地域との“かけ算”という点でも、「ITやインターネットの分野はサテライトオフィスと親和性が高い」と吉田氏は語ります。「これまでは地域経済の活性策といえば企業の工場誘致でしたが、工場の工員の方たちと地元の漁師さんたちとの間で新たな価値を生むような“かけ算”は起こりにくいでしょう。一方、ITやインターネット業界の人間は、例えば地元においしい食材があったらオンラインで売ってみよう、おもしろい伝統行事があったらウェブで発信してみよう、という発想が出てきやすい。思いついたらとりあえず動かしてみるという業界文化もありますし、普段からユーザーのためにサービスを実現するシステムを作ることを業務としているので、アイデアを現実化できるスキルの引き出しが豊富で、新しい環境の中で課題やソリューションを見出すことに長けているんですね」
過疎や高齢化で不足しているリソースを補う処方箋としても、ICTは大きな力を発揮しています。「神山町と上勝町では、ウェブ会議システムを使って東大生が講義をするオンライン学習塾を開講し、都市部に負けない教育環境を目指しています。上勝町は高齢者がICTを駆使してツマモノ用の葉っぱを販売する『葉っぱビジネス』でも知られていますね。デジタルコンテンツも、都市部より地方のほうが可能性がある。街中に書店がない地方ほど電子書籍の需要が高いはずです。ICTがあれば、人が動かなくても情報やサービスを動かせます。これは地方でこそ必要とされていることなのです」(吉田氏)
路地裏の古民家を改修したサテライトオフィス体験施設「戎(えびす)邸」。「自然の中で仕事がしたいだけなら、リゾートホテルに行けばいい。ご近所さんが遊びに来たり、地元の行事に誘われたりするような職場環境が本当に合っているのかどうか、実際に体験してから判断してもらうことで、ミスマッチを防ぎます」と吉田氏
あわえがプロデュースするレストラン「odori」では、東京から移住したシェフが徳島県産の地鶏「阿波尾鶏」をはじめとする地元の食材を生かした料理を提供。店内では産地直送の野菜や加工品も販売し、地元の人からも移住者からも好評を得ている
文化資産の保護と活用を目的とした「ゴエン」プロジェクトでは、地元の民家に眠る古い写真を背景情報ともに収集、デジタル化。地域の歴史を残すアーカイブとしての機能のほか、GPSや地図サービスと連動させて観光やイベントにも活用できる
路地から全国へ、世界へ
「あわえ」とは、美波町の方言で「路地」のこと。吉田氏はこの美波町の路地で起きていることは、これからの国の課題、ひいては世界の課題を先取りしていると言います。「少子高齢化はこれから日本各地、世界各地で取り組まなければならなくなる問題です。美波町での地域活性モデルには、日本を、世界を元気にする可能性があると思っています」
とはいえ、美波町モデルがそのまま他地域にフィットするというわけではありません。県庁の今津氏が述べていたように、霊場のある美波町にはお遍路さんやおもてなしの文化といった土壌がありましたが、同じ徳島県内でさえ、霊場のない地域ではこうした取り組みに対する温度差があるそうです。吉田氏は、他地域への展開にあたっては「遊び人が多い地区に目をつけるといい」と言います。「県や市の単位でくくってしまうと難しいですが、地区や集落のレベルで見れば、好奇心旺盛で遊び心のある人たちが集まるオープンな文化のエリアがあるはずです。そうした地区でまず新しいことを始めてみる。そこで移住者が地元民と交流したり、新たな雇用が生まれたりするのを実際に目にすれば、しだいに周辺地区の人たちの理解も進むでしょう」
こうした波及効果は地方創生において重要な要素です。美波町のサテライトオフィスは当初はIT企業がメインでしたが、誘致が進むにつれ進出企業が古民家を改修してオフィスにするという需要が生まれたことで、設計やデザインを手がける企業が加わってきました。神山町ではサテライトオフィスの従業員向けにカフェやレストランがオープンし、いまでは町外からも人を呼び寄せているほか、そこで使われるオーガニック食材を供給するための農園ができるといった発展を見せています。最初は小さな取り組みでも、人が人を呼び、やがて地域全体へとその成果が拡大しうるのです。
漁師小屋での飲み会は、地元の漁師さんたちやサテライトオフィスのメンバー、視察訪問 中の人たちなどがごちゃまぜになって盛り上がる。「若い人たちが来るようになっ て、町が元気になった」と年配の住民はうれしそうに語る(左)鈴木商店のサテライトオフィスに勤務する小林さん(右囲み参照)は、昨年美波町で結婚式を挙げ、地元の人たちから盛大な祝福を受けた。大漁旗がはためく漁船から花嫁が登場するサプライズも(右)
未来の課題に向けて
美波町は地方創生の先進地域であるものの、現在はまだ第一段階だと吉田氏は考えています。「サテライトオフィスに勤務しているのはほとんどが独身者で、それぞれ自分の生活と仕事を楽しむことはできていますが、彼らがいずれ結婚や出産をすれば育児や教育の課題が出てきますし、その先には介護の問題もあります。また、いまのところは小規模なオフィスが中心ですが、この先事業を拡大させようとするとき、地方で働く意欲とスキルを持った人材を十分に確保できるかどうかも考えていかなければなりません」
吉田氏が今後の課題として指摘する教育、医療、人材育成などもまた、ICTの活用が変革を可能にする領域です。あわえが牽引する美波町の取り組みがこれからどのように発展を続け、さらなる課題解決を実現していくのか。ICTはその中でどのような役割を果たすのか。それを注視することで、東京の、日本の、そして世界の未来が見えてくるかもしれません。
サテライトオフィスで「半農半IT」を実践
サイファー・テック 開発部 ソフトウェアエンジニア 藤岡 祐さん
北海道出身で、地域開発や里山の研究をしているうちに農業に興味を持ち始めました。昨年2月に東京のIT企業から転職し、5月から美波Labで勤務しています。
オフィスのすぐ横に農地があるので、仕事と農業との切り替えは徒歩1分。半農半IT生活はとても充実していますが、とにかく忙しいです。朝は田んぼの水替えや草刈りをしてから出社し、昼休みには野菜の水やりに畑へ。肥料を入れたり苗を植えたりといった大仕事は週末にまとめてやります。田植えや稲刈りは地域の人たちと一緒に大勢で行う一大イベントです。ほかにも地元の祭や壮年団の集まりなど、地域でやることは山ほどあります。仕事の量は前職とほぼ変わりませんが、時間をやりくりして楽しんでいます。
各製品チームのメンバーは東京オフィスと美波Lab、徳島市内の開発部の3拠点に分散しています。電話やメール、ビデオチャットなどでできるだけ密に連絡を取りながら支障なく業務ができていますが、ときどきはオフィスを行き来して顔を合わせた関係づくりもするようにしています。
美波町は住めば住むほどおもしろい。農業とITのバランスを自分自身で模索できる環境に魅力を感じています。
上:昼休みに野菜の様子をチェック 下:かつて老人ホームとして使われていた施設を改修した美波Lab。東京オフィスにライブ中継する実験を実施中
サーフィンで地域に溶けこむ“工場長”
鈴木商店 徳島クラウドオフィス美雲屋 駐在スタッフ 小林 武喜さん
目の前に海のあるサテライトオフィスを会社が開設すると決めて、真っ先に手をあげて移住してきました。いつでもサーフィンができる夢のような環境で、オンとオフが混じりあっている生活です。仕事の質も量も大阪本社の社員と同じだけ求められますが、集中して業務をこなし、疲れてもすぐ息抜きできるので、結果的に生産性が上がっているような気がします。
当社はクラウド・システムの開発会社なので、自社内の業務もすべてクラウド化し、いつでもどこでも仕事ができることを目指しています。同じオフィス内でもメールでやりとりしたりすることはありますから、こちらにいても特に距離感は感じません。
「クラウド・システムをつくる仕事だ」と地元の漁師さんたちに説明したら、「要するに“工場長”やな」と。地域に受け入れてもらうためには、自分が何者なのかをわかりやすく示すことも大事だと思います。
ここは昔からサーフィンが盛んな土地。サーフィンを通じた付き合いはとてもフラットかつオープンで、一緒に海に入るうちに絆が深まるのを感じています。昨年結婚したので、これからはここで家族を作り、地域にさらに根づいていきたいですね。
上:波のいい日は出勤前にひと乗り 下:古民家をスタイリッシュにリノベーションした鈴木商店のサテライトオフィス美雲屋