ファーウェイ・ピープル
2005年に設立した当初、ファーウェイ・ジャパンの従業員数はわずか20名でした。本社から赴任した社員と現地採用の従業員が半数ずつの小さなチームで、新たに参入した市場で事業展開の基盤づくりをスタートしました。
今回のファーウェイ・ピープルでは、設立まもないファーウェイ・ジャパンに現地採用で入社し、現在も活躍を続けている3名の従業員に、設立初期の苦労話やこれまでの成長の過程について語ってもらいました。
朱暁華 (ジュー・シャオファ)
マーケティング&ソリューションセールス本部 アクセス・ネットワーク・ソリューション営業部 部長
北京出身。1991年より中国で外資系通信事業者に勤務し、1995年に来日。東京工業大学の大学院修了後、外資系通信機器ベンダーを経て2005年10月にファーウェイ・ジャパンに入社。複数の事業部でソリューション部長を歴任し、2015年より現職。
ファーウェイ・ジャパンに入社した経緯は?
外資系通信機器ベンダーの日本法人に5年ほど勤務していましたが、ファーウェイ・ジャパンが設立にあたって現地で人材を募集していることを知り、興味を持ちました。ファーウェイは中国で最も優れた通信機器ベンダーとしてよく知っており、この会社なら通信分野での長年の経験と中国語・日本語・英語のコミュニケーション能力、日本の通信市場についての知識を最大限に生かせると考え、当時の閻力大(エン・リダ)社長による面接を経て、固定ネットワークの分野で唯一のローカル・スタッフとして採用されました。
入社当初はどのような業務をされていたのですか?
通信事業者のお客様と直接やりとりするほか、イベントへの出展やセミナーの開催を通じてにファーウェイの製品やソリューションをご紹介し、新規業務を開拓することが第一のミッションでした。同時に、固定ネットワーク・チームの立ち上げも重要な仕事で、入社1年目から徐々に面接を行い、ローカル・スタッフを多数採用しました。彼らが現在も当社の主要なポジションで貢献している姿を目にすると、とてもうれしく思います。
当時の会社の雰囲気はどんな感じでしたか?
少人数だったので、全員がそれぞれにできることを率先してやる必要がありました。私も担当は固定ネットワークでしたが、ワイヤレスやITのプロジェクトにも駆り出されることがたびたびあり、知識のない分野について実践で学ぶ機会を多く得ました。お客様のラボでテストをする際に装置の筐体が足りなくなり、急遽コンテナ・トラックを借りて自ら運転して倉庫まで取りに行った、なんていうこともありましたね。迅速に判断してすぐに行動に移すことが常に求められていました。また、本社の社員は日本のお客様とのやりとりに慣れていませんから、お客様との会議の前には、私たちローカル・スタッフと本社社員とで何度もリハーサルをして臨んでいました。
設立初期に最も苦労したのはどんなことでしたか?
ファーウェイには、謙虚かつ慎重に自分たちのやり方を反省し、絶えず改善を続けて進化することを目指す文化があります。成長の意欲がある人には、学ぶチャンスがいくらでも与えられるのです。私も設立当初から参加したことで、通信事業者から一般企業までさまざまな日本のお客様やパートナーの皆様と仕事をする機会を得て、日本の市場や技術に関する理解を深め、視野を広げることができました。こうした経験は私にとって貴重な財産です。私たちの成長を温かく見守り、信頼を寄せてくださったお客様やパートナーの皆様には深く感謝しています。
次の10年に向けて、ファーウェイ・ジャパンにはどんな課題があるでしょうか?
この10年、ファーウェイ・ジャパンはお客様のご要望に迅速にお応えする努力を地道に積み重ね、事業を発展させてきました。それにともなって、お客様のご期待もコスト・パフォーマンスだけでなく、戦略的なパートナーとしてグローバルな実績をビジネスの成功に生かすことへと変化してきたと感じます。今後は、ファーウェイのグローバル企業としての成長と、ファーウェイ・ジャパンの現地市場への理解と貢献とを効果的に結びつけ、日本のお客様や社会との「つながり」を通じて持続的に価値をもたらしていかなければなりません。また、規模が拡大しても従業員どうしが将来への方向性を共有していければ、挫折やスランプをともに乗り越えてさらなる成長を目指していけると信じています。
王彤 (ワン・トン)
渉外・広報本部 協業管理部 部長
陝西省西安出身。日本の大手通信機器メーカーの中国事務所で営業サポートに従事したのち、1998年に結婚を契機に来日、本社海外事業部で中国向けビジネス支援業務に携わる。2006年6月、ファーウェイ・ジャパンにテクニカルサポート部門のアシスタントとして入社。2007年に営業部に異動し、プロジェクト・マネージャー、購買アシスタント、アカウント・マネージャー、担当部長を経て、2014年に新たに設置された協業管理部の部長に就任。
ファーウェイ・ジャパンに入社した経緯は?
日本に来る前から、ファーウェイのことは中国の通信機器市場で海外大手企業を相手に競争している数少ない国内メーカーとして知っており、果敢にも日本市場にも進出しようとしていることを聞いて驚き、日本に住む中国人として、また日中の通信分野で通訳などをしてきた経験を生かして役に立ちたいと、使命感のようなものを感じました。最初はアシスタントとして入社したのですが、すぐにさまざまな業務を任せられるようになり、私の日本語や社内外の調整スキルを評価してくれた閻社長の采配で半年後に営業職へと異動となりました。その後も複数の部署でお客様と接する仕事に携わり、キャリアアップを積み重ねてきました。
当時の会社の雰囲気はどんな感じでしたか?
35歳の社長をはじめ、とにかく若い会社でした。人数が少ないので1人で3~4人分の仕事をこなさなければならず、例えば私はアカウント・マネージャーでしたが、翻訳業務も兼任し、議事録の作成や入札書類の日本語訳などを手がけていました。こうした状況を乗り切れたのも、若さがあってこそだったのかもしれません。規模が小さいため組織の構成もシンプルで、意識の共有もしやすく、目標に向かって全員で力を合わせてがんばっていました。
設立初期に最も苦労したのはどんなことでしたか?
常に新しいことに挑戦させてもらっていたので、そのたびに苦労しましたが、人と人、組織と組織の信頼関係を一から築いていくことがなによりたいへんでした。異なる文化や商習慣を持つ者どうしがどうしたらお互いに理解をしあえるか、いつも頭を悩ませていました。そんなときには一人で抱えこまず、チームの仲間と相談しながら、気づきや反省を重ねて努力を続けてきました。最終的にお客様から信頼していただき、ファーウェイに対する見方が変わったとおっしゃっていただけたときが、最も達成感を感じる幸せな瞬間でした。
会社の変化とともに、ご自身はどのように成長されたと感じますか?
これまで多くの社内異動を経験しており、異動先はいつも会社にとっても新たな事業分野でした。そこにはもちろんリスクがともないますが、新しい世界に踏み出し、新しいお客様と出会うことで、それまで落ち込みやすい性格だった私がとても前向きに物事をとらえられるようになったと思います。挫折や失敗も多々あったとしても、それを乗り越えて成果が得られたときの達成感はなにものにも代えがたいものです。さまざまな仕事を任せてもらえたおかげで、自分でも気づいていなかった自分の価値を見いだすことができました。私と同じ想いを持つ同僚はたくさんいるでしょう。こうしたチャレンジを与えてくれた会社と、力を合わせてがんばってきた仲間たち、そして忍耐強く信頼してくださったお客様には本当に感謝しています。また、入社時には幼かった娘はもう中学生になり、母親としても子どもと一緒に成長してきました。ファーウェイ・ジャパンは子どもを持つ女性社員が多く、子育てと仕事の両立には心強い環境です。なにより、仕事が忙しいときもいつもサポートしてくれた家族には心からありがとうと伝えたいです。
協業管理部長としてパートナー企業との協業を推進する立場から、これからの抱負を聞かせてください。
日本社会に根差した企業として、国内のICT業界や経済界に価値をもたらしていくことが、ファーウェイ・ジャパンの変わらぬ目標です。日本企業の皆様とお互いの強みを生かしあいながら、ともに調和のとれたビジネス環境を築き、産業の発展に貢献していきたいと考えています。そのためには、なによりも信頼関係が重要です。協業管理部は、優れた技術を持つ日本企業の皆様と交流を深め、購買やR&Dなどいろいろな形で双方に利益をもたらす協業を発展させていく役割を担っています。今後も各社と緊密なコミュニケーションを続けると同時に、相手の立場や課題をしっかりと理解し、ビジョンやゴールを共有することで、持続的でWin-Winなパートナーシップの構築を目指してまいります。
菅野博之 (すがの・ひろゆき)
人事部 部長
外資系企業を中心に、総務・営業を経て人事畑で20年以上の経験を持つ。2006年8月にファーウェイ・ジャパンに入社。入社後数年にわたり、採用から給与、評価、教育まで人事関連業務を単独で担当し、人事部の基盤を整備した。
ファーウェイ・ジャパンに入社した経緯は?
前職では日本国内のほかアジア太平洋地域業務を兼任しており、自分自身のキャリアについてもアジアという広い視野を持って考えていきたいと思っていました。中でも中国を含む中華圏のビジネスのメソッドに関心があり、設立まもないファーウェイという会社の一員となることで中国の人たちの発想や仕事のしかたを徹底的に知ることができるのではないかと感じ、入社を決めました。
設立当初はどのように人事業務を進めていったのですか?
まずはファーウェイ本社の人事制度や方針をローカルで展開するところから着手しましたが、日本オフィスにはほかに人事担当者がいなかったので、本社や香港オフィスで研修を受けたり、アジア太平洋地域の合同会議で他国の人事担当者と情報交換したりと、さまざまなチャネルを使ってファーウェイの人事制度や方針を理解し、それをどう現地化すべきかを検討していきました。日本での人材採用にあたっては、最初は人材紹介会社にファーウェイについて知ってもらうための会社案内もなかったので、他部署と協力しながら資料づくりもしました。通信業界で求められる人材を知るためにも、採用面接にはすべて同席し、判断基準を探っていきました。まだ従業員を育てていける土壌が整っていませんでしたから、まずは即戦力のある人材を選りすぐって採用していました。朱さんや王さんを含め、この時期に採用した従業員の多くが現在も管理職として活躍を続けていて、会社の成長を牽引する立場になっています。
最も苦労したことは?
最初のうちは、日本企業や欧米系企業から転職してきた社員からすると当然と思えるような制度が欠けているといったことが多くありました。ローカル・オフィスとして現地社員に必要な制度を迅速に整備しなければならない一方で、本社の決定による人事方針を短期間に展開するよう求められる場合もあり、両者のバランスを取ることに苦労しました。
10年間の急速な成長にともない人事における課題はどのように変化してきましたか?
ファーウェイ・ジャパンは買収や合併による拡大ではなく、純粋に有機的な成長を続けてきた会社です。植木に例えるなら、大きくなったからといって単純に比例して水や肥料を増やせばいいというわけではなく、時には植木鉢を入れ替えたり、肥料の種類も変えたりといった処置が必要になります。採用に関して言えば、会社の成長段階に合わせて、パイオニアとなるような人材が必要な時期、特定の専門職が必要な時期、大量の人員増強が必要な時期など、求められる方針が変化してきました。また、制度や規程の面でも、成長のフェーズが変わるごとに、それらを機能させるための「地盤」づくりから始めなければなりませんでした。ビジネスの規模と範囲が広がり、部署やオフィスの数が増えるにつれ、それまでの地盤では解決できない問題が生じ、現状の地盤を変えていくことになります。設立から10年を経て植木の成長がまた新しい段階に入り、ローカル・オフィスの責任や権限がより大きくなってきたので、今後はさらに将来を見据えた地盤を作ることが求められていると感じます。新卒採用も3年目となり、人材育成にもいっそう力を入れていかなければなりません。
ファーウェイ・ジャパンが今後も成長を続けていくために、人事の面ではどんな努力が必要になるでしょうか?
制度の導入だけでなく、これからはそれをいかに定着させ、発展させていくかが重要になります。その際、現地のニーズや本社の要求に応えるだけでなく、人事面から生産性の向上に寄与できるかどうかを総合的に分析し、多角的な視点から提案することが必要です。また、規模が小さかったころには会社全体を見渡すことができていましたが、これだけ大きな組織になると意思疎通や意識の共有がむずかしくなってきます。多様な人材が集まるグローバル企業ですから、考え方や仕事のしかたはそれぞれ異なっていて当然です。その違いを受け入れたうえで、共通のゴールに向かって進んでいけるような社内風土を維持していくことが大切だと思います。